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広島在住,フィドル,二胡奏者、  竹内ふみの の、レッスン教室案内ブログです。  フィドル,二胡の生徒さん,随時募集中。 お問い合わせは、メールjajoukaahiru@gmail.com 電話090-1333-0343 まで、ご連絡ください。
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竹内ふみの
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職業:
ヴァイオリン,二胡弾き
自己紹介:
広島在住、
ヴァイオリン、二胡弾き、
竹内ふみののレッスン教室便り的ブログです。

レッスンに関するお問い合わせは、
jajoukaahiru@gmail.com
090-1333-0343
まで、お気軽にどうぞ。
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擦弦楽器の、難しさは一度やったことのある人であれば、
少なからず分かると思いますが、
本当に,難しい!笑



まず,きれいに音を出すだけでも大変。
音程を正しく出すのも大変。
右手と左手が,全く違う,かつ複雑な動きをするので大変。
楽器を構えるフォームが難しくて大変。


と、基本的なことなのに,
困難が揃った楽器となっております。笑


ですから、
そういった、基本的でなおかつ難しい部分への
意識のウエイトは,大きくなるのが常ですが、

しかしながら、
そのウエイトが大きければ大きいほど、
強弱や,音質などの、
音楽表現に回すことの出来る意識というのは、薄くなります。


基本動作が,向上しなければ
根本的な上達はなかなか計れない気がしますが、
かといって,例えばレッスンで
私が,基本動作から,音楽表現から、
気になる点を一から十まで
つぶさにチェックしてそれを伝えたとすれば、
恐らく生徒さんはパニックになるでしょう。苦笑



練習するときも、
同じです。

自分でチュックしながら,
全部を同時進行で出来れば
一番好ましいわけですが、
それは、難しいですね。

出来ない!
と、パニックになってしまいます。


そういう時には,課題をシンプルにします。

出来ないことの,ある一つだけを取って、

それは,ボーイングだったり,音程だったり、運指だったり、音色だったり、強弱,弓のタッチ,フォーム、難しいフレーズ、、、など、様々ですが、

その中の,
一番自分が出来ない要素となっていると思われるものを、
探し出して、その部分だけを反復します。

それが、出来るようになったら、
それに,また別の出来ない何かを足していく,


という風にして、
出来ない,難しい部分をほぐして、練習します。

難しい部分
というのは、たいていの場合,
出来ない要素が,幾重にも重なって成り立っている場合が多いですから、

そこを、自分で,発見したり,細かく砕いて考えたりするのも,
自分のウィークポイントを細かく知る大事なプロセスだと思います。





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スケジュールの方にも,書きましたが
今日は,私が講師を務める音楽教室での発表会がありました。
良い会だったなあ、と思いました。
おにぎりも,おいしかったなあ,,,あ,これは個人的な感想ですが,,,,



人前で演奏する、
ということは、
普段一人で練習するときとは,明らかに違います。

実際,レッスンのときでさえも、
『家では,もっと上手く弾けるんですが、先生の前だとどうも緊張して,,,,』
という生徒さんは,たくさんおられます。笑

要は,緊張するわけです。
緊張すると,筋肉が固まります。
そこから,震えたり,動きが鈍くなったり、
と、思ってもみなかったことが生じたり、
何より,頭の中も真っ白,で、パニックに落ちいることも、しばしばです。

良く,緊張しない方法として、
観客をカボチャと思え(でしたっけ、、、?)
とか言う人がいますが,

思えるわけがありません。

私は,どんな演奏のときも,一度も,この方法の効果を信じたことはありません。

そんなわけの分からぬ,現実逃避をするくらいなら、
緊張した方がマシ。
とまで,思ってました。笑

まあ,それは極端なんですけど,、、、


私が,極度に緊張した時に,やっている方法は、
まず,演奏場所が、最高に広いどこか、だと思うことです。

私の場合は、いつも、草原だとか、
まあ,曲によっては,森だったり,海だったり,宇宙だったり,するわけですけど、
割と,草原が多いですが、笑
とにかく、もの凄く広くて,地平線が見えるような場所で、
弾いているように、感覚を持っていくことです。

そうすると、内にこもっていた,力が、
外へ放出されるような気持ちになります。

まあ,ある種、精神統一的なことと通ずるものが,あると思いますが,

それとともに、
体の芯から、リラックスするよう脱力を心がけること。
そのために、
演奏前に、柔軟体操をしたりするのも、良いかと思います。


まあ,何でも良いんです。
自分にあった,リラックス,精神統一の方法が編み出せれば。


しかしながら、
これは持論ですが、
精神統一には、ある程度の緊張感が必要になると思っています。


私は,新しい試みだったり、慣れていない内容だったりして、
普段よりも、より集中力を必要とする演奏の日は、
とかく,無意識ですが,しゃべらなくなります。
メンバーと同乗して、
長い,車の移動などがあっても、ほとんど無言で過ごすこともあります。
演奏場所に着いて,リハが終わり必要なことをチェックすれば、
後は一人で、本番までどこかに出かけて行動することも,多い気がします。

それは、緊張している、
というよりも、むしろ適度な緊張感を保って,集中力を持続させようとしている、
ということのような気がします。

緊張感の全くない演奏というのは、
観る側も演る側も、面白くないというのは、良く感じることです。

つまるところ、
適度な緊張感を楽しみつつ演奏できる、
ということが,一番良い状態かもしれません。



、、、人をカボチャと思うほうが,簡単じゃないの!


なんて,思ってます?


まあ,そういわず。

少しずつ、そうなって行けるよう。

日々,精進!

というわけで、おやすみなさいませ。

私はレッスンで,良く
力を抜いて、
という言葉を使いますが,

どういう状態なのか,よく分からない,
という声を生徒さんから良く聞きます。

力を抜いてしまったら,弓も使えないし、支えれない、
というわけです。


もちろんそれは、抜き過ぎです。笑


いつも言いますが、
お箸や鉛筆を使う動作に良く似ています。
指の一つ一つは、独立して必要な動きを
力まず行いつつ、
その一つ一つの動きが、自然に全体の動きに繋がります。
お箸や鉛筆を使う時、
ぎゅっと握ったり、関節が硬直したりしないのと同じように、
弓を使う時にも、指や関節のしなやかな動きが
必要なわけです。



音というのは、
弦と弓の毛がこすれ合って,摩擦を起こすことで、
出るわけですが,

脱力して、

といわれた時に,
力を抜いて,その抜いた重さを、
もし、そのまま弦にのせてしまえば、特にそれが弓元に近い場合は、
のせすぎると音がひずみます。

私は,良くこういう例えをしますが、
柔らかい丸いものがあるとして、
それを,手でつかむ場合に、
適度な力で挟むとつかめますが、
あまりに強い力で挟むと、
つぶれてしまいますね。

音も、同じようなことがいえます。

弦と弓の毛との間に生じる圧力が
あまりに強すぎると、
音がつぶれてしまい、ひずむわけです。

ですから、脱力をして、
力を抜いた手の重さを、
楽器にのせる、

ということにも,もちろんある程度の加減が必要ということです。

そこから、考えていくと、
弓元,弓先での圧力のかけ方にも当然違いが発生することが
分かります。


その先は,,,,,

皆さん,是非ご自分で試行錯誤してみて下さい。


脱力,というものは、
結局文章で理解するには、限度があります。

楽器を触ったぶんしか、体は理解してくれない、
と思った方が良いかもしれません。




自分で体得したことは、
人から教わったどんな説明よりも、
勝る、ということです。


練習だけは、自分を裏切らない。

これは,私の先生が
小さい頃に教えてくれた言葉ですが



自分が練習して練習して、初めて
恩師の言葉の真の意味が、
理解できる、ということも、

よくあることです。





さて,というわけで
私も少し練習してから就寝したいと思います。


先日あった発表会の打ち上げの席で、
ある生徒さんが,

「みなさん、一つ聞いてみるのですが,自分は,仕事が終わって帰宅後に練習,となると、深夜になる場合が多く,そんな中練習を重ねたところ、
ご近所さんから,苦情が来たのですが、皆さんはどうしておられますか。
何か,いい方法はないでしょうか。」


という画期的な(?笑)発言をして、
それまで各々でおしゃべりをしていた打ち上げの場は、
一気に,騒然とし、
みんなで意見を言い出し合う、という、
ディスカッションのような感じに一転して、笑
非常に楽しかったのですが,

やはり、これに悩むのは
楽器をしているものの,性ですね。。。。

皆さん,苦労しておられるようでした。

一番に上がったのはやはり、

弱音器を付ける。

というものでしたが、
弱音器の音色では,満足できない、
という、生徒さん。

消音効果をねらうと、
どうしても、楽器自体の響きは
削いでしまいますから、
気持ちは,よく分かります。

その後も,なんだかんだと話しましたが,
結局巡り巡っての話は、
壁を、毛布のようなもので覆う。

というとこに,発展し
そこから、
部屋の中に,テントを張ってその中で練習を、、、、

ということになって、、、、、、、




うーん、、、


やっぱり、カラオケボックスとかしか,ないかぁ、、、、、

というところに落ち着いたわけですが。



この問題は、非常に難しい問題のうえ、
楽器をするものにとっては、
切っても切り離せないことです。

しかし,一度名指しで苦情が出てしまうと,
お互い神経質になってしまい,よけい音が出しづらくなります。
生徒さんによっては,
気候の良いときは、平和公園で練習する、
という強者もおられますが、気候の良い時に限定されますし,
なかなか,誰もが出来ることでもありません。


私が考えるに、
夜などは,必要最低限の音量で練習をこなし,
お休みの日のお昼に、たっぷり弓や音量を取る練習をする,
というように、仕方を分ける,
というのが一番無難なような気がします。

私のレッスンブログを見たという、ヴァイオリンの生徒さんに、
「先生は、なぜ二胡のことばっかり書いて、ヴァイオリンのことを書かないのか。」

という質問をされました。笑

うーん、特に考えたことはなかったですが、確かに、ほとんどの内容は
二胡のことメインで
このレッスンブログは、構成されている気がします。


思うに、ヴァイオリンというのは、
ほぼ、いろんなことは、確立されていて、
なおかつ、私なんぞがとやかく言わずとも、
素晴らしい教本や、奏者、先生がわんさか存在する
というのが、大きな理由かもしれません。

もちろん、二胡でも
かっちり探し抜けば、そういう素晴らしい教本や先生は存在するのかも
しれませんが、
私の知る限り、
決して容易ではありません。


現に、演奏を聴いて
素晴らしい!
と思う、ヴァイオリニストや
内容を見てみて
これは良い!と思う教本は、

割と何人かいたり、あったりしますが、

二胡奏者、二胡教本、
となると、、、、

奏者では、
私が、今まで生で聴きに行った限り、
身震いして素晴らしい、と感じたのは、
姜 建華 ジャンジェンホア くらい、ですし、
教本に至っては、今、生徒さんたちに使用している教本が、
やっとようやく、私の中での基準を満たす感じで、
それさえも、実際は日本語で書いてあって欲しい、、、
など、内容にたいして要望があるわけです。
教則本以外を取っても、
二胡譜面で表記してある曲のレパートリーなど、
ヴァイオリンに比べれば、格段に、数が少ないと思います。




これは、基本的に
ヴァイオリニストに比べ、
二胡奏者というものが、
圧倒的に少ない、ということが、
あるとおもいますし、

演奏についていえば、
もちろん、二胡でも
演奏が上手い方は、
いくらでもいるように思います。

しかしながら、
なんと言うんでしょうか、
生演奏を観に行っている、
という感覚に乏しい、
というか、
オムニバスCDを聴いているような感覚
とでもいうんでしょうか。

とにかく、ガツン!
と、魅了されるものが少ないんですね。

それは、
確固たるスキルであったり、
芯のぶれない音色であったり、
人間性であったり、
オリジナリティーや、独創性、
パッションであったり、

と、まあいろいろですが、

そういうものが、
割とみんな統一されてしまっているように
感じたり、
見えづらいのは、
特に、古典のたぐいでの、
音やスキルに関しては、
文化改革があったこととも、大きく起因しているとおもいますが、
お国柄、ということも合間っているのかなあ、、、、
と思うに付け、
やはり、中国に行かなければ、
私が望むような感じは、
聴けないのかなあ、
と思ったりするわけです。


その上、私は日本人。
でもって、ヴァイオリンもやっている身だからか、
二胡に関して、
いろんなところで、
分からないこと、気になること、腑に落ちないこと、
などが、続出し、
かといって、全てが明確な答えが用意されているものでもなく、
結局自分で、与えられたものの中から、
試行錯誤するしかない、
という状況下を
生きてきたお陰様で、笑
こういうブログとあいなっております。



まあ、元々が
大きなコンサートホールであるような、
大体、あるある、というようなプログラム内容の
一般向けの演奏会には、なかなか興味が向かない傾向にある方なので、
マジョリティーな考え方ではないのかもしれません。苦笑


もちろんそれは、理由あってのことで
二胡とうい楽器が、
大きなコンサートホールには、
完全に適していないように思われるのが、
大きな要因ですが。

大きいホールは、
演奏会というよりは、
一つの「舞台芸術」
として、観れるのが
一番楽しい見方だと思いますが、
二胡の演奏では、そういう使われ方をされていることが
少なくて、
単純にキャパの問題のみで、
大きなホールを使用している、
ということになると、
どことなく、残念な気持ちになるわけです。




うーん,今日も素晴らしく話の論点がずれまくっています。

要するにまとめますと、
決してヴァイオリンのことが、
書きたくないわけではない、
ということと、笑
二胡は、まだまだ知ってもらうことが,多い
ということに尽きるかと思います。



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