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広島在住,フィドル,二胡奏者、  竹内ふみの の、レッスン教室案内ブログです。  フィドル,二胡の生徒さん,随時募集中。 お問い合わせは、メールjajoukaahiru@gmail.com 電話090-1333-0343 まで、ご連絡ください。
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竹内ふみの
性別:
女性
職業:
ヴァイオリン,二胡弾き
自己紹介:
広島在住、
ヴァイオリン、二胡弾き、
竹内ふみののレッスン教室便り的ブログです。

レッスンに関するお問い合わせは、
jajoukaahiru@gmail.com
090-1333-0343
まで、お気軽にどうぞ。
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昨日、生徒さんと
レッスンで、譜面についての話をしている際に、
私が、音大時代にあった印象深く覚えている出来事を
その生徒さんにお話ししたのですが、
何と、今日、
その昔の出来事に関連する用紙が、
たまたま、すごい偶然にでて来たので、
これは、何かの流れ。
と思い,ブログに載せます。

音大の、声楽の授業の際、
その日、教室に入ると、教授が黒板に、ぎっしり言葉を、書いていました。
そうして、それを、一言一句違わず写すよう、言われ、
写した、用紙が、今日、
仕事に必要な大事な書類を探している最中にでてきました。(その書類自体は未だ出て来てませんが、、、、泣)

その文を、ここに載せたいと思います。


『演奏は絵の複製に当たり、楽譜こそ本物の様に思われるかも知れない.
しかし、楽譜は作曲家の考えた”音の構築物”の、設計図、青写真のようなものだ.
それは、音楽そのものではない.
楽譜は最も基本的な第一資料ではあるが、それと音との間には楽譜に出て来ない
いろんなものがはさまっている。
それゆえ、演奏家は楽譜が目に前にあるから、そこに書いてある通りに弾けば良いという事は、
ことの半分も言い現わしてないことがわかる。
むしろ、演奏家,特に「クラシック」の演奏家は、
古い不完全な地図を頼りに現代という 価値の基準が多様化している時代に
音楽的感動という はなはだつかみにくい宝探しをやっている人種とみえる。
演奏は、作曲にほとんど劣らぬ創造的想像力の働きを
不可欠とする仕事なのである。』

『演奏についての、基本的な考えを言葉でいえば、
「演奏は、演奏家の思想の反映である」
演奏とは、楽譜に書かれたものを そのまま音にする事ではない.
楽曲に対する音楽家の考え、ひいては音楽とは何かについての自分の思想を
表現する行為に他ならない.
それゆえ、演奏家の考え<哲学>が明確に打ち出されていないようなものは、
演奏とはいえないのである。』


吉田秀和 音楽展望




いわずと知れた、音楽評論家の、吉田秀和さんの、音楽展望からの抜粋でしたが、
今では当たり前に感じるような、この文も、
若い私には、本当に、衝撃であり、感動であり、戒めでありました。
音楽をする、立場やスタンス,状況はそれぞれ違えど
どんな人にも、当てはまったり、
音楽を捉えるきっかけに、どこかしらなるのでは
と思います。


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先ほど,リハーサルから帰宅しました。
このところ,毎晩深夜までリハーサルが在る状態が続いており、
帰宅後,意識のないまま就寝、
翌朝,飛び起きて今日は、何がある日だったか?と、
寝ぼけつつ、頭をフル回転、、、
という日が、増えており、
次第に、自分でマネージメント出来る
仕事量のキャパを越えつつ在るのではないかと
自問するとともに、
己のキャパの狭さを嘆く日々です。泣

月に1日くらいは、何も仕事のない日をつくりたいとは、思うのですが、、、、これがなかなか、、、、

そんな中,私の野菜好きを知って、
お家でとれた自家製のお野菜を下さる生徒さんや、
美味しいから、と知り合いの農家さんからの野菜を下さる生徒さんや、
実家から送ってきました、と果物を下さる生徒さんや、
既に調理済みのお惣菜を下さる生徒さんまで、
本当に、皆さんにお気遣いいただき、
その上どれも、美味しくて有り難く、
疲れた体に、美味しくやさしく。
ありがとうございます。と、いつも生徒さんたちに感謝です。

私は、普段家で、肉魚類をほとんど、調理して食べないため、
野菜たちが、私の体の50%くらいは占めているんじゃないかと思います.笑
(ちなみに、残りの50%は、おやつで出来ています!)

まあ、仕事柄、外食も多いため、
量的には普通に、肉魚類も摂取していると思いますが、、、、

何にしろ、野菜はもちろんのこと、
そのお心が
本当に、私の元気の源。
です。

さて、私が、
生徒さんたちに養っていただいている話は、このくらいにして、苦笑

先日,演歌のレコーディングが在りました。
演歌に、二胡。
という、組み合わせが、新鮮、且つ相性的にも、良い、
ということで、近年ちょこちょこと、
演歌関係のお仕事を頂きますが、
この、演歌というジャンルは、
実に不思議なジャンルだと、いつも思います。

ポップスでも、ジャズでも、クラシックでも、民謡でもない、
日本独特の、ジャンルですよね.

演歌の、醍醐味(?)は、
あの、こぶしの、効いた感じと、独特の重さ、
に在ると思います。

一概に、リズム、といっても、
リズムには、多様な感じ方が在ります。

例えば、サンバなどは、快活で早い感じですし、
ジャズは、3連が中心ですし、
クラシックは,リズムが在るのかないのか分からない,曖昧さが在りますし、
ポップスは、割とオンタイムです。

そうして、演歌は、、、
というと、
レコーディングで、プロデューサーさんに
必ず言われるのが、

『アフター気味に』

ということです。

これは、なるべく、リズムをもたらせて、
遅れ気味に,奏する、
ということで、
とかく,演歌の様に,重いリズムですと、
リズムを,アフター気味に取った方が、
リズムもきまりますし,かっこいいわけです。


もちろん、
リズムが,遅れる訳では在りません。
自分で,カウントする,リズムは,オンタイム
の上で、出音をもたり気味にする、
と言えば,分かりやすいでしょうか。

演奏家は,皆多かれ少なかれ、
皆,この方法で、
曲の感じを、リズム的につけています。
そうやって、
実際の、拍感より、出音を
微妙に,早めたり、遅めたり,とずらすことで、

サンバは,サンバらしく、
ボサノバは,ボサノバらしく、
バラードは,バラードらしく,
クラシックはクラシックらしく、
演歌は,演歌らしく、

なるわけです。

二胡や、ヴァイオリンは
発声ポイントが、遅めな上、
出音が、擦弦のため、はっきりしないことにより、
リズミックな曲に対してのアプローチが、難しい楽器だと、私は思います。

だからこそ、
普段から、私は
その点を考慮した、弓使いや、フィンガリングを
意識的に気をつけるように、しています。

リズムが、演奏の一部として
理解出来る様になると、
また、違った世界が広がり、
楽しみも倍増することを、知ったのも
リズムを意識する様になってからです。

ですから、生徒さんにも、

とりあえず、音が取れる様になってから。

なんて事は言わないで、
最初から、出来るだけリズムと一緒に
曲を捉えるよう指導しています。



おまけ



生徒さんたちに、頂いた野菜より.
スナップエンドウと、空豆。
本当に、美味しかったです。
二胡や、トラディショナルなヴァイオリンを弾いていると、
良く,

二胡らしい。
とか,民族的らしい。

という言葉を,聞くことが在ります。

そういう方達の話を
良く注意して聞いていると、それは
オーナメントに対して,言及している場合が多々あります。

装飾音や,ヴィブラートがつくと、
確かに,曲がその特色を持つ曲らしく聴こえる、というのは
分かる気がします。

それで、装飾の付け方や,ヴィブラートに
必要以上に固執する人も居ますね.

しかしながら、
私も,ご多分に漏れず,若い頃に
先生に言われたことがありますが、

曲を,構成しているのは、
結局のところ、
ライン,曲の旋律であり、
オーナメントは,オーナメントに過ぎない。
ということです。

そこが、はっきりしていないと、
曲のバランスは,たちどころに崩れてしまう。

以前にもお話ししましたが、
装飾音は装飾でしかない。
ということだと,思いますが、

例えば,装飾音を,ガッツリ、元々入っている音としての、弾き方で弾くと
どうなるかと言うと,
もの凄く,アンバランスで、不具合です。

きれいに入っていると、
それ自体すごいことをしているかのような,錯覚をおこしますが、
装飾音が,素晴らしく聴こえるのは、
つまりは、そのもとの旋律ラインが,整って,しっかり弾かれているから、
ということになります。

そこが、あるからこそ、装飾や,ヴィブラートが,栄える訳です。

レッスンでも、
習ってないヴィブラートや,オーナメントを
ガチガチに入れて,弾いてくる生徒さんも居ます。
そういう時,私は,それを,大抵は黙って聴きます。
で、その曲の大元の,旋律ラインについての,手直しを大抵しますが、
そうすると、今度はそこに,集中するため,
気を取られて、無駄なオーナメントは、入らなくなります.笑



昨今,
方言をしゃべる人が、落ち着く、とか、温かみがあって良い、
というような話を,良く聞きますが、
それは,大元の話す内容がちゃんとあってのことです。

内容もなく、支離滅裂に,

せやさかい、あんとうに、ばってん、そっだらこつ しちゅうきに、いかんじゃろ。

こういう,無意味にいろんな方言をぐちゃぐちゃにチャンポンして
闇雲に使う人が居たら
私たちは,苦笑せざるをえませんね.

まあ,装飾と,方言を一緒にしたら、怒られそうですけれど,,,,笑
なんとなく、それと,同じことな気がします。


使い慣れた上で、
伝えたいことが在るから、
その先に、オーナメントや,ヴィブラートが,存在する。

そういう手順で,良いと思いますが、
人間,聞いて良いと思うと,やってみたいのが常ですね。笑

まあ,でも,それも良いと
私は、思います。
何でも、やってみると分かることもたくさんありますから。

入れどころを、はっきりさせることや、
曲の解釈に沿って入れることで、
まとまりは、かなり出るとは思いますが、
オーナメントや,ヴィビラートが,美しく聴こえるコツは、
脱力です.

脱力が在るからこそ、
音が,均衡を保って装飾することが出来ると,私は感じます。


ね。
という訳で、
いろんなことは、
結局全て、ここに通じています。



今日は,昨日のライブで,燃え尽きたため
反省会リハーサルと、1人レッスンがあった以外は、
ダラダラの一日でした。苦笑

今週は、先週に引き続き、
明日から、
火曜日、オリエンタルホテルでの演奏、
水曜日、リハ、
木曜日、レコーディング,リハ
土曜日,松山へ演奏、
日曜日、朝,晩とダブルヘッダーで演奏

それに加え,日々のレッスン。
ということで、バタバタの1週間となりそうですが、
体調を整え頑張って参りたいと思います。

ゴールデンウィークも、あっという間に終わりました。

広島は、フラワーフェスティバルに加え、
菓子博があったので、
すごい人混みでしたね。苦笑

私は、炎天下が大の苦手なので、
今まで、フラワーフェスティバルの演奏出演、
というものを、
ことごとく、拒んできましたが、笑
今年は、とうとう初めて5日に、
丸本莉子さんという、
地球派宣言のテーマ曲を歌われている、ボーカリストのバックで、演奏させていただきました。
今年は、そう暑くもなく、時間も最後の辺りだったため、どちらかと言えば肌寒い気温で
何とか、炎天下は免れました。

バンド編成のステージは、
必ずストリングスの音量が負けてしまい、
自分の出音が聴こえづらくなるので、
恐怖心が大きい訳ですが、
それでも、やはり、そこを飛び越え
安定した演奏を提供するべきなのだと、
色々悩ましく考えた一日でした。


何にせよ、
人と一緒に、
音楽を、一つのステージを
つくり上げる、
というのは、実に面白い作業です。

先日、朝から、
来年に催す予定にしている、
二胡アンサンブルコンサートの、
会場の予約をするのに、
アステールプラザの事務室に、手続きを行いにいきました。

ちなみに、
スタッフの方が、
じっと私の方を見て、
『もしかして、竹内さんですか?』

と仰るので、

はい?そうですが、、、

と返事をすると、
なんと、
何回か演奏を聴きに来て下さったことがあった方だったようで、
大変嬉しかったのでした。

ほんと、おかしなことは出来ません、、、、、笑




話が脱線しましたが、笑
ずっと、構想を練って来ている、この二胡アンサンブルコンサート(仮)
でも、
やはり、二胡の音色のハーモニーを、
追求して、一つのものを 創りあげていきたい、

そうして、それを
いろんな方に楽しんでいただきたい、
と思って、予定をすすめているものです。

まあ、まだまだ、準備段階ですが、
このブログでも,少しずつ、
そのコンサートについても,紹介していけれればと思っております。


私は,器用な人間ではないと、自分を認識しているので、
ヴァイオリン、二胡を両用することに
悩んだ時期も,なかった訳では在りませんし、
どっち付かずと,感じる自分を、また、嫌み嫌ったり
いやなことから、目を背けたり。笑

そういった中で、
それでも、自分の こう在りたいという姿を,模索し
自分を,開放し、肯定して
両方の楽器を,離さず、やってこれたのは、
単純に、自分がやりたいと思う,気持ち以外に,
私に指南くださった諸先生、先輩方、両親や,仲間、
そうして,私を、先生たらしめん、として下さった,生徒さんたちの存在に尽きると
思っています。


そういった,たくさんのご縁や繋がりに、
感謝するとともに、
まだまだ,知られていない二胡の音色の素晴らしさを
知ってもらいたいのは、もとより、

自分が頂いた,ご縁を、
さらにいろんな形で、いろんな人たちと繋げていけれれば、
という思いから、始まったアンサンブル構想。

どんなに、言葉の限りを尽くしたとしても、
結局,私をつくるのは、
私が,動いた分だけ.
意思を持って,動いた分だけ.

それは、自分がこの世界で活動するようになって,
痛切に,感じていることです。


自分の責任で,自発的に動いてこそ、
感じれること,見えること、分かること,

それが,
私の,糧になり、
自分の想い描く,スタンダードへと
持っていく 確かなエネルギーとなるのだと、
思っていますし、

そこから、どんどん裾野を広げ
周りを巻き込んでいくことで,変えていけれることが、
なにがしか、あるのではと、思っています。

何しろ,音楽は幸か不幸か笑
決して,一人ではできないもの。
誰かと一緒に演奏して、
聴き手が居て,初めて
音楽。

となるのだと,私は思っています。
だからこそ,繋がり広がるべきものなのだと。



人生は,壮大な実験場。

私が常日頃思っていることを、
言い当ててくれた知人の言葉ですが、笑

そういうある種のゆとり、
を忘れず、私は,私の役目を
遂行したいと思っています。


今日は、結局 二胡アンサンブルの予告のような
ことになってしまいましたが,苦笑
まあ、こんな日も一興。
ということで,今日はこの辺で。

おやすみないませ。


早い方は、すでにゴールデンウィークまっただ中.ですね。
私は、25日からの、6連チャンの、演奏の日々が今日ようやく一旦終息し、
明日、明後日と、レッスン、リハーサルのみとなり、
また、3日から4連チャンの演奏漬けに日々の予定。苦笑

という訳で、私のゴールデンウィークは、
全くゴールデンでもなんでもありませんが、苦笑
それでも、人々が浮き足立っているのを見るのは、

なかなか、良いものです。


先日、岩国での演奏で、
手作りの、紅茶シフォンケーキを頂きました。
写真は、そのケーキですが、
以前も、和菓子を作っていただいたのですが、
味はもちろんのこと、
もう、包装からして、お店のそれと、見間違うくらい、
素晴らしい出来です!
かもや、万歳!
いつも、ありがとうございます!!


さて、昨日のレッスンにて。
生徒さんからは、
事前に、練習が出来ておらず、楽器に対して気持ちが向かない、
というメールを頂いておりました。

ので、気楽においで下さい.
といって、お迎えしまして
レッスンの時、色々お話を、聞いた訳ですが、
生徒さんの悩みは、こうです。

まあまあ、弾けるようになって、
自分の、十八番、のような曲も出来、弾けるには弾けるが、
実際、取り組んでいる教本に 載っている
新しい、全く知らない曲を、弾いてみると
全く弾けず、うまく行かない。

弾く以前に、
その曲の、記してある音程が、頭に浮かばなくて、
ジレンマを感じ、憤り、
結局、練習から、逃げてしまう。



というものでした.

私は、それ聞いて、
良い悩みだな。
と思いました。

良い悩み。

というのは、おかしいかもしれませんが、
悩んで、意味の在る悩みと、あまり意味のない悩み、というものが、
楽器を弾く、ということに関して、
私はある気がします。

ちなみに、
私が、あまり意味がない、と思うものは、
大抵、「楽器を弾く、」
ということに、直結しない、悩み、
まあ、あえて言うならば、全てを楽器のせいにしていしまっているものですとか、人と比較するなど、ですが、苦笑
そういう、あまりにも大基と、ずれていると感じるもの以外は、全て悩むというのは、
素晴らしいことだと感じます。


この生徒さんは、
二胡の生徒さんでしたが、
私が、生徒さんに言ったことは。

まず、二胡や、ヴァイオリンなどは、
単旋律楽器。
という部類に入りますね。

二胡や、ヴァイオリンは
その楽器のみだと、出す音の数が、
ほぼ、1〜4音程度に限られるもの楽器です。

そうすると、どういったことが起こるかと言うと、
出す音は、二胡の場合ですとほぼ1音ですね。
知らない曲を弾いてみた場合、
まず、旋律のみですと、
曲調を理解するのにも、時間がかかります。

長調なのか、短調なのか、
リズミックなのか、ゆったりなのか、

そういったことは、音程や、リズムが不安定ですと、なおさら
おぼろになります。

しかしながら、音楽というのは、
複数の音が組合わさった.ハーモニー.和音で、構成されています。
ピアノや、ギター.お箏などは、その部類に入りますが、
和音楽器が、加わって、初めて、(一般的には)人は、
その曲が、
美しい、とか、物悲しい、とか、力強い、
とか、思う訳です。


知った曲を弾くと、やり易いですね。
なぜでしょう。

それは、各々の、頭の中で、
旋律や、和音が鳴っているからです。
ですから、弾き易いし、弾いていて、楽しい訳です。

ですから、
二胡やヴァイオリンで
知らない曲を弾く、というのは、
真っ暗な薮の中を、歩くのと同じくらい、笑
不安定で、心許ない作業な訳です。

ましてや、二胡は、移動ドですね。
1の音は、D調では、レの音ですが、G調では、ソの音に変化する、という具合ですから
頭の中で、その調の数字譜を見て、
音程を瞬時に思い浮かべるのは、並大抵のことでは在りません。

そう考えると、
読譜力と、音感は同じくらい大切なものかもしれません.


さらに話すと、

その生徒さんは、
自分の弾いている十八番の曲を、
今以上、良い弾きこなし方をする、音質、演奏のイメージが、つかない、
といいました。


ですから、
私は、和音感を、極力付けることです。
とお話ししたのでした.

例えば、無音の中に、
ある旋律が響いている場合、

ある人は、それを、短調の曲だととらえ、
またある人は、長調だと捉えるかもしれませんね。

それは、人の感覚によると思います。

が、そこに、和音がついていた場合、
その曲のイメージは、格段に、凝縮されイメージし易くなります。


ようは、音がないことで、
イメージがどうとでも捉えれてしまうことで、
逆に、難しくなってしまっている、ということが在るかもしれない、ということかも知れません。


私たち演奏家が、新しい曲を弾く時には、
もちろん、その原曲が、どんな曲か、綿密に研究して、調べることから始めますが、
たくさんの曲に触れて来たことで、
分かり易い曲であれば、
何となく、この曲は、こういった和音感なのでは、というのが、
分かることも在ります。

また、演奏時は、たとえ一人だったとしても、
弾いている時に、必ず、頭の中では、和音が響いている訳です。

ですから、一人での演奏も、それはそれで、楽しいにかもしれません。

しかしながら、
この、
和音感、
という話に、触れる生徒さんは、あまり居ません.
もちろん、伴奏が在れば、
楽しい、など、そういう感覚というのは、
みんな在るものだと思いますが、

自分に足りない感覚、
として、和音感を捉えれる、ということは、
素晴らしいことです。

ですから、良い悩みだなあ、
と思った訳です。

和音というのは、一種の色彩のようなものです.
その、曲の旋律をどのように彩るのか、
というのが、和音によって決まる訳です.

曲を弾く時に、
その和音感をイメージすることで、
さらに、演奏の内容に幅を持たせれることが、出来る可能性がある、

と知った、その生徒さんの
晴れやかな顔つきが、印象的でした。

今後の、発展が、楽しみです。




最後の写真は、春の炊き込みごはん。
昨日レッスンがあった、別の生徒さんが持たせて下さいました。
ホント、
私は、生徒さんに養ってもらっている、という
うちの母の言葉は、まんざら嘘でもないような、、、、苦笑


さて、明日からは、晴れの予報です。
皆様、どうぞ良きゴールデンウィークを!


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